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住職の法話8月

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住職の法話(四苦)
まずは仏教をお開きになられました、お釈迦様のお話をさせて頂きます。多くの部族
国家が分立していた時代、北インドの小国、東西80キロ南北60キロ千葉県くらいの面
積を治めていた釈迦族のシュッドーダナという王とお母様摩耶(マヤ)夫人の間にお生まれになられました。摩耶(マヤ)夫人が、出産のために実家に帰る途中、ネパールのルンビニーの花園で花に手を伸ばしたときに、脇の下から4月8日に生まれたとされていす。
紀元前463年もしくは565年という説もあります。なぜ脇という非現実的なところから生まれてきたのかと、大抵の人が思うでしょう。それは現在インドのほとんどを占めるヒンドゥー教の基になる、バラモン教が関与しているという説があります。
現在では法律上で禁止されていますが、インドにはカーストという身分階級制度があって、それは今でも根強く実態として消え去ってはおりません。
カーストでは4つの階級があり、身分の高い順にバラモン(司祭)、クシャトリア(王族)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(奴隷)という順であります。
そして重要なのが、バラモン教ではバラモンは神の頭(口)から、クシャトリアは(腕)から、ヴァイシャは腿(腹)から、シュードラは足の裏から生まれるとされています。
そしてお釈迦様は脇から生まれたという。つまり、王族であるために脇から生まれたと考えられているのであります。
お生まれになって七歩 歩まれました。
これは大事なことを顕しております。仏教の思想、六道輪廻(ロクドウリンネ)があります。
六つの迷いの世界。生まれ変わり死に変わり、堂々巡りしてきました。
車輪がくるくる回るように、回ってきました。
六つの世界とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上、六を超えて七の世界があります。

「天上天下唯我独尊(テンジョウテンゲユイガドクソン)」(自分という存在は、誰にも
変わることができない人間として生まれており、この命のまま尊い)シッタルダ太子が生れて七日後に母親がなくなり、妹のマハプラジャパティに育てられました。
19歳もしくは16歳でヤショダーラと結婚し、ラゴラが生まれました。 29歳で出家なさいました。
不自由なく暮らしていたシッタルダ太子でしたが、あるとき東西南北それぞれの城門から外出する機会がありました。その時に四つの苦しみ(四苦:生・老・病・死)を知ることになり、そのエピソードを四門出遊(シモンシュツユウ)と言います。
東門―老人を見る。西門―病人を見る。南門―死人を見る。北門―修行僧を見て、気高き姿に惹かれて、出家する決断をするのであります。
「生」の苦しみは、生まれてくる苦しみであります。インドでは身分制度があり、生まれながらに身分は決まっており、自分の力ではどうすることもできない。
「老」はいつか来ます。20歳までは成長である、それ以降は「老」である。「変わりたくても変われない、変わりたくなくても変わっていく。」これが人間の姿であります。
自分を変えようとしてもそう簡単に変えれない、しかしまだまだ若くいたいなぁと思っていても変わっていくのがこの世であります。
立ち上がる時に掛け声をして立ち上がる方が居られます。力を入れる時に「ヨイショ」
もう少し年配になると「ヨッコラショ」と、そしてその先は「ヨッコラドッコイショ」皆様はどの掛け声でしょうか?
「病」は心の病と体の病があります。川柳に「高血圧 ニュース見るなと医者がいい」
「病院へこないあの人病気かな」病気になると医者が頼もしく、薬が有難いと誰もが思う事でああります。宗教も自分が必要な時だけ必要なのでしょうか?その考えでもいいのでしょうが、浄土宗のみ教えは平生が大切であります。毎日の日課、日々のお念仏であります。
「死」は必然であり、「生」は偶然である。誰もが決して避けて通れないのが「死」であります。
しかし、お釈迦様を7つ目の世界をお示しくださったように、阿弥陀様は西方極楽浄土という世界をお建てになり、浄土宗をお開きになられた、法然上人は「ただ一向に念仏すべし」とお念仏申して、阿弥陀様のお他力を頂戴して、六道輪廻の世界から厭いはなれるすべを私たちにお説きくだされました。
死とは残された人にとって永遠の別離ではなく、西方極楽浄土で再会できるという希望があります。そのための葬儀や追善回向が大切になってきます。
通夜は人生の卒業式、葬儀告別式は人生の入学式である。極楽浄土に入学する大切な
儀式なのです。