オフィシャルブログ

月別アーカイブ: 2020年11月

12月掲示伝道

IMG_1314

住職法話12月「寒苦鳥」

閑古鳥(かんこどり)が鳴く」の閑古鳥がカッコウの別名だと知っておられたでしょうか。
閑古鳥は想像上の鳥くらいに思っていた方もおられるでしょう。
カッコウは、人里離れた寂しい場所で鳴く習性があるところから、「カッコウが鳴いている場所は、寂しい場所」となり、「閑古鳥が鳴く」の慣用句ができたそうです。
さて、「閑古鳥」に似た名前で、「寒苦鳥 かんくどり(または、かんくちょう)」という名前の鳥がいます。
こちらは想像上の鳥です。
インドの昔話です。
あるところに雪山があり、そこには一匹の鳥がいました。
鳥は遊ぶのが大好きでした。
日中は雪山でもそこそこに日が照り暖かいので鳥は一日中、他の鳥や虫たちと遊びまわっていました。
ところが夜になると雪山は一気に冷え込みます。
「寒いよぉ、寒いよぉ。」
巣のない鳥は雪の中で凍えます。
そして、そんな中で鳥は決心するのです。
「よし、朝日が昇ったら、頑張って木々を集めて温かい巣を作ろう!!」
夜があけました。
朝日が昇り、あたりの気温が上昇してきました。
それにともない他の鳥たちや、虫たちも起き出してきます。
そして、それらの動物たちや虫たちは輪になって遊びはじめます。
その輪の中にはあの鳥の姿が…。
昨夜の決心はなんとやら。
なんと鳥は巣をつくることを忘れて遊びふけるのでした。
そしてまた一日が終わり、雪山の夜が来ます。
「寒いよぉ、寒いよぉ。」
鳥は吹きざらしの中で、一晩中震えるのでした。
そしてまた巣を作ろうと決心するのですが、朝になるとやっぱり遊びます。
結局この鳥はこうして一生をむなしく過ごしました。
寒苦に泣いて決心し、寒苦を忘れ遊ぶ。これを繰り返し続けるこの鳥は「雪山の寒苦鳥」と呼ばれるようになりました。
人間でもやっぱりこういう所ありますよね、人間の怠惰心。
誰が言ったか、「明日やろうは、馬鹿やろう」とは上手い言い方であります。
大切なのは、日々の一歩一歩の積み重ねであります。

お念仏も、日々何編念仏を称えるという日課を決めて、その日その日を大切にして頂きたいものです。

11月掲示伝道

IMG_1235

住職法話11月「命日」

亡くなっていかれるあらゆる方が、あとに残りました者に、必ず残して下さるものがございます。それが「命日」でございます。

なにげなく使っておりますこの「命日」という言葉ですが、字を見ますと「いのちの日」とあります。文字どおり、自らの命をかけて、私たちに残してくれた「いのち」、あるいは生きている、いや生かされているということを確かめ考える大切な日でございます。

私たちは、命のリレーがあってこそ、こうして生活をさせていただけるのであります。

言うなれば、ご先祖様のお陰であります。

「綺麗な花が咲きました 見えない根っこのお蔭です」

毎日毎日、目の前のさまざまなことに振り回され流されている私たちですが、それを一番根っこのところで支え、私が私として生きることを成り立たせている大きないのちの働きが確かにあるのだと、そしてそのいのちの働きの中に私たちが生かされており、見えない根っこに気づかせていただきたいものです。いのちの花が咲いているのは、ご両親や、数多のご先祖様があってのお蔭なのです。

「見えなくても お花を供えたい 食べなくても 美味をさしあげたい 聞こえなくても 話したい 見えざるものの 真心は美しい」

この詩の様に、綺麗な花や故人がお好きだった、お供え物をお仏壇にお供えします。ご先祖様を想う感謝の表れが日々の仏壇のお給仕であり、墓参りでもあります。

当山のお檀家さんで、五十年以上連れ添ったご夫婦のお話をさせて頂きます。奥様が認知症になられ、旦那様が介護をなさっておられました。ある時、奥様がポツリと話された言葉が今も忘れられないそうです。

奥様が「私が生きてたら、お父さん幸せになられへんね」と言ったのです。

「なに言うてんねん、今も幸せだし、自分の体のことだけ考えたらええから、安心して」と答えたそうです。その後、奥様はお亡くなりになられました。

「妻を本当に幸せにしてやれたかどうか心もとなく、もう少しこうしてあげたかったと後悔は尽きません。でも、お念仏があるので、必ず極楽浄土で再会できる、その日を楽しみに支えとして、希望を持って生活して行きます」と明るくお話して下さいました。

それからというもの、より一層お仏壇に毎朝毎晩お念仏を称え、奥様のお好きな物をお供えし、お花も絶やすことなく、命日には私がお参りして共にお念仏回向致しました。これが日々の追善供養であり、また追善回向でもあります。

ご法事も追善供養、もしくは追善回向になります。亡き人に対して、善い行いを回し向けることであり、言うなれば、善根功徳のお裾分けであります。浄土宗では何よりもお念仏が最高の追善になります。お仏壇を中心とした生活を心がけ、お念仏をお称え下さい。

たとえ目には見えなくてもこの自分をしっかりと支えてくれている確かな存在に気づき、極楽浄土も目には見えないからといって無いとは限りません。必ず西の彼方に極楽浄土はあるのです。南無阿弥陀仏とお念仏をお称えするものは、どのようなものでも極楽浄土に救い取ると阿弥陀様の願いを信じ、極楽浄土を信じ、念仏に励んでまいりましょう。

合掌