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カテゴリー別アーカイブ: 日記

1月掲示伝道

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住職法話1月「新たな年」

明けましておめでとうございます。

「正月」の意味については、色々な説がございます。

正しい月と書いてお正月といいますが、正すとは何でしょう?エリを正すといいますが、真っ正直な気持ちになるという意味でしょう。「正」はあらためるという意味もあります。

自分の生き方をあらためる、見直すと同時に他人から言ってもらわないとわからないことでもあります。

人様からの呼びかけに、耳を傾けていくことも大切であります。

正月はその呼びかけの中に、人生に対する自分の姿勢をただし、自分の命の生き方を問いただす意味もあります。

阿弥陀様も私たちに目覚め、気づけよと呼びかけておられます。その呼びかけに、「南無阿弥陀仏」と答えていきましょう。

この一年をどう過ごすか、心新たに皆様が幸せで、実りある年になりますよう祈念申し上げます。合掌

 

住職法話12月「世代」

先日、娘(23才)と話していた時のこと、9時10分前集合と言えば何時何分のことかわかるかぁ?

「う~ん、9時かなぁ、いや、9時10分かなぁ、はっきりわかれへん」との答えでした。

「えっ、わかれへんかぁ、9時10分前と言えば、8時50分やで」と言うと、

「お父さんそれ日本語へんやでぇ、9時の10分前集合と言わないと伝わらないよ。『の』を入れて」と逆に怒られました。

こちらが伝わると思って話していても、しっかりと伝わっているのか世代により受け取り方が違います。笑い話のような本当の話ですが、上司が部下に、「このプロジェクトは骨が折れる仕事なので、心して取り組むように」と言うと、部下はどんな重労働をされるのかとひやひやしたとの事でした。

居間→リビング デザート→スイーツ 台所→キッチン など変わりゆく言葉がたくさんあります。

「さとり世代」というのをご存じでしょうか。1987年~2004年生まれを指すのですが、さとり世代には欲がない、恋愛に興味がない、旅行に行かないなど、休日は自宅で過ごすことが多く、無駄遣いをしない、気の合わない人とは付き合わない、さとりきったような価値観を持つ若者のことです。

宗教にはさとりの宗教と救いの宗教があります。大別すると、キリスト教は救いの宗教になり、仏教はさとりの宗教になります。しかし、仏教でも浄土宗は、救いの宗教になります。阿弥陀様の救い、本願を信じ念仏をお称えする他力念仏であります。決して自力の念仏ではありません。法然上人は人間の本質をしっかりと見てこられて、この身このまま救われるのは、阿弥陀様におすがりするしかない、自ら実践する修行では到底救われないとさとり、一心に「南無阿弥陀仏」とお称えすれば、誰でもが救われます。

世代が変わっても仏のみ教え、真理は不変であります。どうか皆様、阿弥陀様のお救いを信じて、お念仏をお称えしましょう。

12月掲示伝道

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11月掲示伝道

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住職法話11月「努力」

昔、ヒマラヤの奥地で,修行をしているオウムがいました。すると山火事が発生。山に住む動物たちは「逃げろー火事だー」とライオンを筆頭に大移動を始めました。ところが、オウムだけが大火にむかって飛んでいきます。

それを見たライオンは叫びます。「何をしている、早く来るんだ」

「僕は残る残って火を消したい」そう言って、オウムは近くの池に頭から突っ込み、羽を濡らして炎へ向かいました。燃え上がる大火の上から、パタパタと羽ばたいてわずかな滴をおとすのです。もう一度、池へ。もう一度、もう一度。オウムの羽はじりじりと焼け、翼が小さくなっていきました。それでも彼はあきらめません。

その姿を見ていた天人がオウムに聞きました。
「オウムよ。なぜそこまでするのか」するとオウムは言いました。
「この樹木さんたちは僕が休める寝床をずっと与えてくださったから。
暑いときには木陰を、寒いときには葉の布団を、寂しいときには、その懐で僕をずっと癒してくれたんだ。僕は恩をかえしたい」
次に神はこう聞きます。
「お前の小さな翼でこの大火を消せると思うのか」炎に立ち向かう小さな命はこう言いました。
「今、できることをさせてもらうんだ。出来そうにないことだからやらない、という生き方は違う。僕が今できることを、僕はする」
そう言って、オウムは、何度も何度も何度も池に飛び込んではメラメラと樹木を焼き尽くす炎へ突っ込んでいきました。
その強い意志と懸命な姿に大いなる神は心を動かされ、晴れ渡る大空に大雲を生み
大雨を降らせ鎮火させたのです。
力尽きて堕ちていったオウムは、大樹の枝に受け止められていました。
私たちは、ついつい結果ばかりを気にして、どうせやっても無駄だろうと諦めてしまう。精一杯物事に取り組み、その一瞬、一瞬努力したい。

「人生には努力した分だけの価値がある」

寺フェス

初の試み、5ヶ寺が色々な企画で大人対象の「寺フェス」を10月20日(日)に終える事ができました。当山としては、定番の「アマチュア落語」そして、昨年11月から始まった「寺塾」を凝縮した30分バージョン。おでんを80食用意いたしました。

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おかげさまで沢山の来山があり、大盛況でおでんも完売致しました。

大勢の方々のお手伝い、支えがあってこの企画は成し遂げることができました。

私の拙い法話のテーマは「感謝」でありました。どの様に伝わったか、伝えたい事と伝わる事は違いますがこれからもいろいろと悩み考え、いろいろと発信していきたいと思います。

 

稱念寺寄席第14回

彼岸花

もう10月なのに、気温は30度と秋の訪れが遅く感じます。

境内の彼岸花もお彼岸が終えて咲始まりました。

 

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住職法話10月「人それぞれ」

お釈迦様は生まれてすぐ7歩あるいて、「天上(てんじょう)天下(てんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」と言われました。

天の上にも天の下にも、この広い地球上でただ私一人が尊しという意味ではなく、自分という存在は、誰にも変わることができない人間として生まれており、この命のまま尊い。他人と比較して傷つくこともなく、他人より優れているところがあっても、おごり高ぶらないという言葉でございます。

槇原敬之さんが作詞作曲をした「世界に一つだけの花」という歌があり、解散されたスマップも歌っていました。

槇原さんは1999年覚醒剤事件の有罪判決があり、世間を騒がせ、全国ツアーコンサートやCDやその他のものがすべて回収になり、損害は膨大な金額になったそうです。

何億もの負債を背負い、苦しまれたそうです。その苦しみの中で、山梨県は身延山、日蓮宗の総本山久遠寺に着きました。石段で一息しているときに。若いお坊さんが傍に寄ってきて、声をかけてきました。槇原さんですね?

お寺の書院に案内され、いろいろな話をされました。

その折に「天上(てんじょう)天下(てんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」の話をうけました。人生の絶望を感じてお寺に来たけれども、このお言葉を頂いて、生きる勇気を得て、前向きにもう一度頑張っていこうと決心されたのです。世の中の役に立ちたい、自分にできる事は、歌を歌い、作詞、作曲をすることである。この道で多くの人を幸せにしていきたいと。こう考えて「世界に一つだけの花」という国民的歌が誕生しました。

「ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる
一人一人違うのにその中で 一番になりたがる
そうさ 僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かさせることだけに 一生懸命になればいい

小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから
ナバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン」

比べる事もなく、争う必要もない、人はそれぞれに尊い存在である。

「みんなちがって みんないい」(金子みすゞ)

今世間は「寛容さ」という言葉を忘れているのではないでしょうか。