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住職法話2月「四天王寺」

私が小さい頃の遊び場であった四天王寺のお話をさせて頂きます。

四天王寺は聖徳太子によって創建され、仏教精神に則り、庶民救済の為に、「四箇院(しかいん)」とよばれる、敬田(きょうでん)院、施薬(せやく)院、療病(りょうびょう)院、悲田(ひでん)院の施設を造られた。仏法修行の道場である「敬田院」、病者に薬を施す「施薬院」、病者を収容し、病気を癒す「療病院」、身寄りのないものや年老いた人たちを収容する「悲田院」の四つで構成されています。現代の社会福祉施設が今から1430年前にあり、今も四天王寺にはその精神が受け継がれております。

法然上人は文治元年(1185)51歳の時に、慈円僧正に招まれ西門の辺りで念仏を唱えて日想観(にっそうかん)を修されています。
その地には念仏三昧院、念仏堂と呼称される堂宇が建立され、荒廃した後は鳥羽法皇の御誓願により短声堂・引声堂として再建され、それも昭和の戦災で焼失した為、現在は阿弥陀堂を法然上人二十五霊場と定めています。

 

高僧に高野の明遍上人という方がおられました。
この方は「法然の言うことも尊い所はあるが、念仏一行の選択はあまりに偏った見方である」と法然上人をののしっていたお方でした。
ある晩、明遍上人の夢の中に四天王寺西門が登場します。
西門の周辺には、親にも、兄弟にも、妻子にも見捨てられた重病人が幾人も横たわっています。
そこに墨染の衣を身につけた聖がたった一人で向かっていき、病人の口元へ小さな貝ですくった重湯を施しては看護し、静かに拝んでいきます。
その姿が実に尊く、通りがかった人に「あの聖はどなたですか」と尋ねると「法然上人です」との応えでした。
明遍は驚いて目を覚まし
「今まで法然上人は、偏っていると思っていたが間違いであった。病人にご馳走を出しても何の役には立たない。重湯こそが必要である。同じように、私が説いてきたご馳走のようなお釈迦様の教えも、相手に合わなければ、何の役にも立たない。念仏こそが病む人の為の教え、重湯である。」
と深く反省し、法然上人を師と仰いで、空阿弥陀仏と名を改めて、念仏に励んだということです。
み教えは大切であり、有難いことですが、誰もが修することができなければ、絵にかいた餅になります。庶民救済の精神、全ての人々が救われる道、お念仏を実践してまいりましょう。合掌

日想観

*日想観とは、太陽が沈む時に西の方角に向き、心を落ち着けて落日をじっくりと見ます。やがて太陽は沈み、辺りに静寂と夕闇が訪れますが、そこにまだ太陽が明瞭に見えるように、観想することを言います。

この際、目は閉じていても開いていても構いません。そこに太陽をありありと感じることが大切です。この修行法は、極楽浄土を見る修行で、観無量寿経に記されています。

2月掲示伝道

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