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キリスト教も神道も両手を合わせて、礼拝したり、祈ったりします。
浄土宗の合掌は堅実心(ケンジツシン)合掌といいます。
堅はたしかにとか、かたいですから間違いのない、確かな合掌
今だけではない一生涯私たちは念仏申しますというかたい約束を表します。
また、実はかわらない、中身がしっかりしているという意味であり、うわべだけではない、真実がちゃんと備わっています。
右手が仏様 左手が私達と言います。
「右仏、左衆生と合わす手の 内ぞゆかしき南無のひと声」
宗教は合掌からはじまります。日常生活では右手と左手は同じ手でありながら、役割は別々であり、違った動きをします。食事の時は右手で箸を左手ではお茶碗を
字を書く時は 右手でペンを左手では紙を押さえます。
合掌は同じ動作をいたします。堅実心合掌の意味を理解して、合掌していただきたいものです。
宗教とは大別して、悟りの宗教と救いの宗教があります。
法然上人は、内心を問うてみると、己の力ではどうしても悟れない、仏教の基本的修行の三学(戒・定・慧)を極める事が何一つできないこの私がいると、かねがねおっしゃっておられました。この自覚こそが、念仏者の出発点であります。阿弥陀様の本願を信じて、念仏により救われていく。救いの宗教を求め、そして、「凡夫」のための宗教を法然上人は確立させ、凡入報土(凡夫が阿弥陀様の極楽浄土に往生すること)のみ教えをありがたく頂くのであります。そのご恩徳に報恩感謝の誠を捧げたいものです。
毎年4月第二日曜日は7ヶ寺での御忌法要(法然上人のご恩徳を偲んでする法要)を勤める予定でしたが、新型コロナウイルスにより、残念ですが、中止となりました。