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私たちは明日をも知れない日々とは思わないでしょう。明日も生きていると思っております。
しかしこの災禍の中、新型コロナウイルスに罹られ、今まで元気だった方が急に亡くなられることもあります。
近所のお寺のお檀家さんで、80代の男性がコロナウイルスに罹ったそうです。もしもの事がありましたら、よろしくお願いしますと、か細い声でお寺に連絡を入れて入院なされました。
それから1ヶ月程が経ち、回復され元気になられたそうです。ご自宅にお参りに行かれた時に、「おっさん本当にコロナに罹った時にもう命がないものかと思っておりました、しかし、このように元気にならせて頂いて本当に有難いことです。」
「あの時はどうなることか心配でしたが、無事に退院できてよかったですね」
「はい。皆さんのおかげでこうして無事に生かされました。いつもよりお念仏の数も増えました。有難い事です。もうこれでマスク無しにどこでも出かけることができます。ハハハ」
「抗体ができ、怖いものなしですね」と、このような会話をなされたそうです。
法然上人のお弟子であり、浄土宗二祖聖光上人のお言葉に「人の命というのは儚いものであるから、出る息が入る息を待たずに死ぬ事もあり、入る息が出る息を待たずに死を迎える事もある。だからこそ普段から阿弥陀様に救いを求めて南無阿弥陀仏と申すのだ」とおっしゃっております。
「死」はいつわが身に襲ってくるか誰もわかりません。しかし、誰もが死から逃げることはできないのです。
「死」とは悲しく辛い事です。しかしよくよく考えたならば「死」そのものが悲しく辛い事ではなく、「死」によっての別れが悲しく辛いということではないでしょうか。二度と亡き人と会えない寂しさが「死」に対しての辛さを表しています。
浄土宗のみ教えは、お念仏をお唱えすることにより、必ずどんな人でも西方極楽浄土に阿弥陀様は連れて行ってくださいます。いつ「死」の縁が来ても、阿弥陀様に救いを求めて、南無阿弥陀仏とお念仏をお唱えしていれば、極楽浄土で再会できるのであります。
亡くなっても再会の地が約束されている、そのことこそが、怖いものなしではないでしょうか。合掌
新型コロナウイルス感染症の対策として、
1.密閉空間(換気の悪い密閉空間である)、
2.密集場所(多くの人が密集している)、
3.密接場面(互いに手を伸ばしたら届く距離での会話や発声が行われる)
という3つの条件が同時に重なる場では、感染を拡大させるリスクが高いと考えられています。感染拡大を防止するためにはこの「三密(サンミツ)」は避けるべきものですが、一方、仏教では大切にして頂きたいのが「三宝(サンボウ)」です。三つの宝とは、「仏」「法」「僧」の三つであります。
仏様とは「明るい」阿弥陀如来様は金色であり、無量光という別名がある様に、どんな所にいる者でもお慈悲の光明に照らされている。ただ、我が名(南無阿弥陀仏)を呼ぶ者だけを照らして下さるのです。
次に、法とは「正しい」世の中の法律は時代と共に変化するが、仏のみ教えは永遠に変わることがない、だから正しいのでございます。
僧とは「仲良く」僧侶を和合衆(ワゴウシュウ)と申しまして、集団生活し、修行をします。仲たがいしておりましたら、修行ができません。気が合う合わないという感情抜きに生活を共にするのです。ですから、三宝とは「明るく・正しく・仲良く」この三つを大切にしていく事であります。家庭に置き換えるならば、明るい家庭は、お互いに意見を言い合い、悩みを打明け、相談するので、正しい家庭になる。そして、正しさの中に平和がおとずれるので仲良くなる。仲良い家庭は明るく会話する。すべてが連鎖をおこし、繋がっていきます。温もりのある家庭環境や、いがみ合いを無くす世の中になってもらいたいものです。
ネット社会では安易に誹謗中傷が匿名で行われます。意見を伝えることは大切ですが、そこには思いやりのある言葉で話し、顔がみえないからこそ、相手に思いを寄せていきましょう。合掌