ブログ│宗教法人 稱念寺

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9月掲示伝道

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8月掲示伝道

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住職法話「知機」

ある時、釈尊は「悪いことを知って悪いことをするのと、知らずに悪いことをするのとでは、どちらが罪が重いと思うか」と、ある弟子に尋ねられました。
弟子は「はい、悪いことを悪いと知らずにするのは仕方ありません。だから、その罪は軽いと思います。しかし、悪いと知って悪いことをするのは許されないことです。したがって、その罪は重いと思います」と答えました。
すると釈尊は再び「ここに焼け火ばしがある。これをそれと知ってつかむ者と知らずにつかむ者とでは、どちらが大きなやけどをするだろうか」とお尋ねになりました。
弟子は「焼け火ばしであることを知ってつかむ者は、十分に注意してつかみます。つかめば、どうなるかということを知ってつかみますから、できたら、つかまないようにします。したがって、やけどをすることも軽くてすみます。しかし焼け火ばしであることを知らずにつかんだ者、たとえば赤ん坊などは大やけどするにちがいありません」と答えました。
すると釈尊は、にっこりと大きく、うなずかれました。
そして弟子は、この「焼け火ばし」のお譬えで、はじめのご質問に対する自分の答えが間違っていたことに気づきました。
無知というのは悪気はないから責められないけど、罪深いものです。仏教で、知機(吾が身のほどを知れ)を強調するのは、このためです。

機とは人柄であります。自らを罪悪生死の凡夫の自覚から信仰がはじまり、我が力、念我ではなく、念仏、阿弥陀様を頼りとしてお念仏ひと筋にお称えしましょう。合掌

7月掲示伝道

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6月掲示伝道

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5月掲示伝道

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住職法話4月「より良い人柄」

「友という 言葉も知らぬ 一歳が 泣いている子の頭をなでる」

京都・宝巖寺 小野上人から送られてきたハガキにこの句が添えてありました。

人間としての優しさ、いたわりがこの句にはあり、ほのぼのとした情景が浮かんできます。

何気ない日常の行動が幼い子どもの心を育んでいきます。

私たちは穏やかな優しい慈悲の心を持っているのですが、環境により人は変わっていきます。また立場によっても変化します。

「諸行無常」という仏教語がございますが、「諸行」とはこの世の全て「無常」とは常がない、続かない。すべてが変わっていくことであります。悪くもなり良くもなるのが心であります。

よりよい人間になりたい心は誰もが持っていることでしょう。でもいつの間にかその心が失われたときに、これではだめだと自分を顧みて反省する、それが「懺悔(サンゲ)」であります。

浄土宗のお勤めでは、「懺悔(サンゲ)」の偈文をお称えした後に十念、十遍お念仏をお称えするのであります。

法然上人のお歌に「雪のうちに 仏の御名を 称ふれば つもれるつみぞ やがてきえぬる」雪がとけるように、阿弥陀様の名号を称えれば、日頃積もっている罪でもたちどころに消えてしまうのです。
日々の暮らしのなかで、自分を見つめ直す時間はとても大切であり、自身のいたらなさに気づいたならば、懺悔をしてお念仏をお称えいたしましょう。よりよい人柄にさせていただけるように。合掌

4月掲示伝道

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住職法話3月「晋山式」

2015年産経新聞「朝の詩」

宮川 優さんの「凧」という詩をご紹介させていただきます。

 

凧が空高く飛べるのは 誰かが糸を

引っぱっているから でも凧は

その糸さえなければ もっと自由に

空を飛べると 思っている

その糸がなければ 地上に

落ちてしまうのも 知らずに

 

 

この「糸」は誰のことでしょうか?またはどんな意味があるのでしょうか?

それぞれに感じることはみな違うと思います。

自由とは気ままに生きることでもなく、そこには義務があります。

 

私の弟子が3月12日に晋山式を執り行います。コロナ禍で2年延期となりましたが、おかげ様で、待ちに待った儀式です。晋山式とは住職を拝命しお寺に入山することを意味します。

師匠と弟子、この糸は切っても切れない深い深い絆で結ばれています。

それがしがらみに変わらないように私も精進しておこがましいですが、導いていきたいと思います。合掌

 

3月掲示伝道

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