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カテゴリー別アーカイブ: 日記

11月の掲示伝道

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寺塾 平成30年11月24日(日)

寺塾がスタート致しました。参加人数は23名 朝の挨拶から始まり、心地よい体操、桜座一家が演じる、説経節「マネキン情話」、お坊さんの説教、休憩を挟んで仏教的実践は木魚を打つでした。私は生憎、説教があり、始めてと終わりの数分しかお手伝いできませんでしたが、皆さん楽しんで頂いたと思います。まずは仏教を身近に感じて頂き、2回目、3回目と回を重ねるごとに、参加人数も増えていけばと・・・第2回下寺町淨國寺様にて1月26日(土)です。皆さん是非とも参加し下さい。第2回目はフルでお手伝い致します。IMG_2241

善男子善女人養成講座「下寺町・寺塾」

下寺町寺院五ヶ寺が集まり、「寺塾」を11月24日(土)に開講する運びとなりました。

現代では宗教の空洞化と共に宗教の個人化が進んでいます。私的探求の場として、また宗教と向きあえる機会を、「寺塾」を通して感じて頂ければとの思いで立ち上がりました。

「身近な仏教」を体現して頂くために、敷居は低く、幅広い世代の方が様々なプログラムを実践し、共に学び、体を動かし、心温まる講座を「たいけん・発見」して頂きます。私たちは、目に見えるものだけではなく、目に見えない多くのものに支えられていることに気付かなくなってしまったのではないでしょか。苦しみや迷い、悩みなど様々な葛藤の中を模索して生きています。お釈迦様のみ教えを通じて、物事をシンプルに考えるトレーニングの機会として皆様お誘いあわせのうえ、是非ともご参加下さい。

 

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住職法話10月

住職の法話(怨憎会苦)

怨憎会苦(オンゾウエク)とは恨んだり憎んだりしている相手とも会わなければならない苦しみであり、「愛別離苦」とは真逆であります。

私たちは人との付き合いを、好きか嫌いか、苦手か苦手でないのか、損か得かで判断しています。「嫌いな人がいるのではなく、嫌いだなぁと思う心が自分にある」私には苦手、嫌いな人であっても、他の人からは好かれている人もいます。そんな自分の嫌な心を見つめて少しでも克服できるようにしましょう。

テレビドラマでも色々な人が登場してこそ、興味が湧き、視聴率があがります。それと同様に世の中も、よき人も悪しき人も各々が芝居を演じていると思えば自分にとって嫌な人も、これはただただ演じているだけなんだぁと思えれば、人との付き合いも変わっていくのではないでしょうか。

「人の心とこんにゃくの裏表はようわからん」心には裏表があります。本当の自分はどんな心の持ち主か、こんにゃくの様にどちらが表か裏かわかりません。宗教とは自己を見つめて、どう進むべきか。み佛様のみ前、仏壇の前で手を合わせ、己を見つめてみてください。この忙しい時代にゆっくりと自分を見つめ直し、自分自身を知りましょう。

 

10月掲示伝道

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写経会・趣味展

10月27日(土)28日(日)と午後1時から午後5時まで写経会・趣味展が開催されました。檀信徒有縁の方々の趣味を本堂に展示しました。今回は書や絵画が少なく、アクセサリーやトールペイント、切り絵、鞄などが数多く展示されました。趣味の域を超えた作品ばかりで、プロ並みの技量に驚かされました。

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10月21日団体参拝

恒例の4ヶ寺合同団体参拝を秋晴れの中、一路バスにて京都に向かいました。住職は法務のため残念ながら、参加することはできませんでした。京都六地蔵大善寺、仁和寺、東寺と五重塔巡りをして参拝を終える事ができました。

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文書伝道

10月15日大本山百万遍知恩寺にて布教師会主催の会員研修会が開催されました。基本を知らずに文章を書いていた私にとっては、ありがたい研修会でした。これ、食べれますか?これ、食べられますか?「食べられますか」が正式です。日本語の乱れの代表が「ら」抜き言葉ですが、皆さんも結構「ら」抜き言葉を多用していませんか。

 

住職法話9月

住職の法話(八苦)

八苦とは愛別離苦(アイベツリク)・怨憎会苦(オンゾウエク)求不得苦(グフトクク)・五蘊盛苦(ゴウンジョウク) 前回法話の四苦を合わせて、四苦八苦。全部で十二の苦ではなく、八つの苦であります。

「出会いは、別れの始まり」という言葉があるように、私たちは必ず別れというものを経験しなければなりません。特に愛するものと別れなければいけない苦しみを愛別離苦といい、四苦八苦といわれる苦しみの中で一番辛い苦しみといわれます。

「しゃぼん玉」という童謡があります。これは野口雨情氏が作詞した歌ですが、この歌詞が作られた背景には、2歳の愛娘の死があるそうです。

「しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんで こわれて消えた しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた 風 風 吹くな しゃぼん玉とばそ」

しゃぼん玉とは人間の命のことでしょう。この世に生を受け、屋根まで、つまりある程度のところまで命ながらえて生きることのできる人もいます。しかしながら永遠というわけにはいきません。いつかはこわれて消えるのです。そして2番の歌詞は特に娘のことを思って作ったのでしょう。娘が生まれて、本当に人生のスタートラインに立つかどうかのところで命が消えてしまった。「風、風、吹くな」とは偽らざる願いでしょう。しかし、ひとたび無常の風が吹きぬければ、命はなんともはかなく失われてしまう。その風は私たちの願いとは裏腹に、いつ吹くかもわかりません。私たちの命のはかなさを歌っているのがこの「しゃぼん玉」という童謡です。この詩と愛娘の死とは直接関係ないという説もありますが、幼くして亡くした子どもの偲んでこの詩を書いたのは明らかです。

法然上人のお言葉の中に、「会者定離は常の習い、今始めたるにあらず。何ぞ深く嘆かんや。今の別れはしばらくの悲しみ、春の夜の夢のごとし」

会う者は必ず別れるということは、世の定めであり、今に始まったことでもありません。どうして深く嘆くことがあるでしょうか。今の別れは、しばしの悲しみに過ぎず、春の夜のはかない夢のようなものです。とおっしゃっておられます。

そんなことは頭でわかっていても、その現実を引き受けることはなかなかできません。ましてや自分の身にそんなことが起ころうとは誰も思っていないでしょう。

しかし、お浄土での再会を願わずにはおれません。「老いる事が楽しみになってきました」という子どもを亡くされたお母さんの言葉。我が子と会える日が一日一日と近づいてくる。老いる事が楽しみにお念仏をお称えして、お浄土での再会を念じたいものです。

一休禅師は信者さんから目出度い言葉を書いて欲しいと頼まれ、「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」と書いて信者さんに渡すと、「何が目出度い言葉ですか、死が三つも書いてある」と怒りました。一休さんは諭すように「親が亡くなり、子どもが亡くなり、孫がなくなり、歳の順番に亡くなることほど、目出度いことはないのだ」と。順縁とは歳の順番になくなることであり、逆縁は歳の下の者から亡くなる。年齢順には亡くならないこの世の中、しかし、必ず亡くなることは確かであります。老後の事を考えるのも大切でしょう、しかし、老後が来るか来ないか不確定なことを考えるより、いつか必ず来る「死」を考えたいものです。

彼岸花

彼岸花が玄関先に咲きました。花が咲き、散ってから葉っぱがようやく出てくるところから、別名「相思花」と呼ばれています。

「葉は花を思い、花は葉を思う」

お互いを思いやる気持ちが大切です。

宮澤章二氏の詩に「こころは誰にも見えないけれど、こころづかいは見える、思いは見えないけれど、思いやりは誰にでも見える。」

なかなか行動に移すことは難しいかもしれませんが、気持ちは行為となって初めて意味があります。あたたかい行為の種を撒いていきましょう。

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